ボブ・ディラン 『ジョン・ウェズリー・ハーディング』


ジョン・ウェズリー・ハーディング(紙ジャケット仕様)

1967年12月27日発売。
ボブ・ディランは1966年5月『ブロンド・オン・ブロンド』のリリース後、
1966年8月アメリカのツアーを予定していたが、
7月にバイク事故により、ツアー中止。
それに伴い一切の音楽活動自体を停止した。
このニュースは全米に発表される。
しかし実際は事故そのものは大したものでなく、
休養、この時期のあまりの多忙で無理をしていた
心と体を安静するための行動だったという説がある。
この時期のドキュメンタリーとして
後に発表される(2003年)映画『ノー・ディレクション・ホーム』を見ると
少し疲れているボブ・ディランを垣間見ることが出来る。

ボブ・ディランはウッドストックに家を見つけ、
そこでのんびり過ごし、曲作りを行っていた。
作った曲はザ・バンドの前身であるホークスと共にデモテープ作りを行う。
その時の音源の元は後に、
『地下室 (ザ・ベースメント・テープス)』(1975年)となって
発売される。

事故が起きてからも、1967年には
ボブ・ディランはベストアルバム『ボブ・ディランのグレイテスト・ヒット』、
ドキュメンタリー映画『ドント・ルック・バック』が上映。
『ドント・ルック・バック』は1965年のイギリスコンサート・ツアーを中心撮影され、
『ノー・ディレクション・ホーム』と違い、
不機嫌で、しかし悪魔的なボブ・ディランのカッコよさを映画全体で映し出している。

そして休養後、初めての
満を持してのオリジナルアルバム発表だが
内容はカントリーを意識した作風で
ドラムとベースは入っているが、かなり控え目に演奏されている。
そしてボブ・ディラン自身のハーモニカ、ギター、ピアノ、
それ以外はピート・ドレイクが2曲、スティールギターを弾いているが
飾り気の一切ないバンド演奏となっている。

まるで『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』に入っていた
「コリーナ、コリーナ」(カントリーではないが演奏として)が
アルバム全体で収録されているようにも見える。
歌唱も『ブロンド・オン・ブロンド』に比べ、ざらついた声を控え、すんだ声になっている部分がある。
すんだ声は次のアルバム
『ナッシュヴィル・スカイライン』で顕著になり、その声は別人みたいになっている。

アルバムのレコーディングは
『ブロンド・オン・ブロンド』に引き続いて、ナッシュヴィルにて行われ、
1967年10月17日、11月6日、11月29日のわずか3日間、約9時間で終了した。
ここまで短時間でのレコーディングは
全編弾き語りでアルバムを収録していた行っていた時期の『ボブ・ディラン』(2日)、
『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン』(1日)以来で、
ロックバンドを取り入れていた頃の反動のように簡潔に終わらせている。

「ジョン・ウェズリー・ハーディング」というタイトルは
実在したアメリカ西部開拓時代に実在した無法者である「ジョン・ウェズリー・ハーディン」から。
ジャケットのデザインからして、
意識的にこのアルバムをカントリー色を出そうとしていることがわかる。
カントリー路線は『ナッシュヴィル・スカイライン』でさらに突き進むこととなる。

1.ジョン・ウェズリー・ハーディング – John Wesley Harding –
2.ある朝でかけると – As I Went Out One Morning –
3.聖オーガスティンを夢でみた – I Dreamed I Saw St. Augustine –
4.見張塔からずっと – All Along the Watchtower –
5.フランキー・リーとジュダス・プリーストのバラッド – The Ballad of Frankie Lee and Judas Priest –
6.漂流者の逃亡 – Drifter’s Escape –
7.拝啓地主様 – Dear Landlord –
8.おれはさびしいホーボー – I Am a Lonesome Hobo –
9.あわれな移民 – I Pity the Poor Immigrant –
10.悪意の使者 – The Wicked Messenger –
11.入江にそって – Down Along the Cove –
12.アイル・ビー・ユア・ベイビー・トゥナイト – I’ll Be Your Baby Tonight –

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