ビートルズ 『リボルバー』


リボルバー

1966年8月5日発売した7thアルバムである。
1965年末にイギリス・ツアーが終わったのちに、
ビートルズは約3か月の休養をする。
その間、まったく仕事がなかったわけではないけれど、
ほとんど仕事をしておらず、
人気になって売れた後でここまで休んだことはなかった。
アルバムのためのレコーディンは4月6日からスタートし、
6月21日まで断続的に行っており、計34日レコーディングをした。
このアルバムのレコーディング・セッションから
「ペイパーバック・ライター」「レイン 」の2曲もレコーディングされている。
その2曲は1966年6月10日に『ペイパーバック・ライター』としてシングルとして独立し、
アルバムから切り離された。

このアルバムから前作までレコーディング・エンジニアであったノーマン・スミスが
ピンク・フロイドのプロデューサーになるためエンジニアを辞める。
代わりに当時20歳であったジェフ・エメリックがチーフ・エンジニアとして担当することとなった。
ちなみにジェフ・エメリックは
ビートルズの1stアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』のオーバー・ダビングのレコーディングから
アシスタント・エンジニアとして携わっている。
エンジニアの交代話で僕はよくあるジェフ・エメリックの栄光ぶりを感じたのと同時に、
何故ノーマン・スミスがビートルズのレコーディング・エンジニアをやめたのか疑問に感じていた。
確かにノーマン・スミスがピンク・フロイドに才能を感じ、
プロデューサーになろうとするのも話としては分かる。
けれども、僕としてはビートルズとの仕事を辞めるということは、
そう簡単に決断できないはずだと思っていた。
舞台裏で何かあったのだろうか。
ビートルズと喧嘩したのか、そうでなければ他に理由があるのだろうかと。
理由はビートルズ関連本をいくつか読んで、少し分かるようになる。
理由のひとつとして前作の『ラバー・ソウル』(1965年12月3日)の時点で、
ノーマン・スミスの立場も大きくなり始めて
ビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティンとの関係が微妙になり始めていたことが挙げられる。

”今になってふり返ると、ノーマンを昇進させ、
同時にビートルズのエンジニア、つづけさせることに、
断固として反対したジョージ・マーティンの気持ちもやはりよく理解できる。
(中略)ジョージ(筆者注ジョージ・マーティン)は
いつもスポットは自分だけ当たっていればいいと考えていた。
コントロール・ルームに同格の人間がいるというのは、彼の立場からすると、
とうてい受け入れがたいことだったのだ。
だがそれが、まだまだ未熟な一九歳のルーキー・エンジニアなら問題ない。
簡単にいうと、ぼくなら彼の立場を脅かす心配はないということだ。”
ジェフ・エメリック/著  ハワード・マッセイ/著  奥田 祐士/訳
『ザ・ビートルズ・サウンド最後の真実』p174~p175

しかし、このエンジニアの交代が結果的にこのアルバムの持ち味として上手く作用した。
僕が思うにこのアルバムはデジタルがあふれ、
コラージュ感のある現在の音楽との親和性が高いと思う。
一例をいくつか挙げたいと思う。

・ストリングやブラスでは従来距離を置いていたマイクを極力距離を縮めて収録した
「エリナー・リグビー」におけるストリングや
「ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ」のブラスは
デジタルシンセのような音色を感じる。
そういったサウンドは録音の際、マイクの位置さえ基本的に動かさなかったといわれるノーマン・スミスの
1966年までの従来の定石のレコーディングテクニックでは表現できなかった。

・「アイム・オンリー・スリーピング」のギターの逆再生にもDTM以降の音を感じる

・アルバム収録曲の最後の「トゥモロー・ネバー・ノウズ」のループ感を感じるバック演奏に、
ボーコーダーのようなジョン・レノンのボーカル・エフェクトもまたデジタルを感じる。

・「フォー・ノー・ワン」のフレンチ・ホルンの間奏パートを
ポール・マッカートニーによる無茶ぶりによって結果的に通常では出せない音を指示したこと。
フレンチ・ホルン本来の音から外れるという意味では
デジタルシンセのような性質を持っていると考えられる。
ちなみその音はBBC交響楽団の首席ホルン奏者のアラン・シヴィルの高度な技術力によって何とか演奏できた。

・このアルバムから生まれたというテープをずらしてボーカルの2重録音したように見せるDATという技術も
このレコーディングから世界で初めて行われたといわれる。

後のデジタルシンセが当たり前にある音楽と親和性がある音を取り入れている、
こういったサウンドやレコーディングの試みは、
何か前例を踏まえて行ったものでなく
このアルバムのために
ジェフ・エメリックやケン・タウンゼントといった若いエンジニアが
中心になって試行錯誤して採用された技術である。

その一方ではだからというのか、使い方に洗練さがない側面が出ている。
多くの人がこのアルバムに実験を感じるといった言及は
そういった洗練のなさによるものではないか、と僕は考えている。
個人的には荒削りさについては
80年代、90年代の音楽を聴いた後、
このアルバムを聴いたとき、
僕はこのアルバムの録音の洗練のされてない、
荒削りの質感に少し驚いた記憶がある。
これはただアルバムの年代が古いという意味だけではない。
例えば同時期に録音された他のミュージシャンのアルバム、
ビーチ・ボーイズ『ペット・サウンズ』(1966年5月16日)や
ボブ・ディラン『ブロンド・オン・ブロンド』(1966年5月16日)を
聴いてそういった感覚を感じなかった。
それはまるで
現代の魅力的なデモ音源を聴いているようにも思える。
荒削りだけれど、
そのことがまた魅力のひとつとして
音源の素晴らしさになっているという感覚である。
またこの感覚は先程の洗練のなさと
ビートルズ自身レコーディングする時間が伸び、
演奏の部分、部分リテイクを重ねることになったことで、
結果的に、現代のレコーディングに性質が
似る事となったことだと考えられる。
以前のビートルズのアルバムは一発撮りを基本としたスタジオ・ライブを聴いている感覚がある。
実際初期はそうした録音方法が前提だったし、
このスタジオ・ライブのような録音の仕方は、後の時期になればなるほど減っていく。
ただビートルズが解散するまで全くなくなった訳ではないし、
演奏の生々しさはビートルズのアルバムを聴く魅力の大きな要因でもある。

ミニマムさについて、
ジャケット・デザインは
デビュー前のドイツのハンブルク時代に知り合った仲間であるクラウス・フォアマンが担当する。
つまり内輪の人にジャケットを依頼したことになる。
デザインもまたで空白があり、また白黒写真のコラージュとモノトーンの線なっていて、
アルバムの内容に合っている。
このジャケット・デザインは発売当時から評価され、
グラミー賞の最優秀レコーディング・パッケージを獲得している。

バラバラさは楽曲の統一感のなさだろう。
内容としてもつぎはぎ感のあるアルバムである。
ストリングあり、ブラスあり、シンプルな編成のバラード、メロディーとしてロック、前衛曲と
何かアルバムをまとめようという気さえかんじさせていない。
ここまでまとめる気がないビートルズのアルバムは実はない。
後の『ホワイト・アルバム』はバラバラのふりしたコンセプト・アルバムであるし、
それ以前のアルバムにもアルバムとしてまとめようとした作為を感じられる。
このアルバムに関しては曲順をある程度いじっても、同じような世界観になるのではとさえ感じる。
仮に前述したよう独立分離されたシングルの曲、
それら2曲がこのアルバムに収録されるか、他の曲と差し替えたとしても
アルバムに対する印象は変わらないのではないと僕は考えている。
けれど統一感がなくバラバラであるというということが、
このアルバムのコンセプトであると感じられる。

「リボルバー」というアルバム・タイトルの由来は、
このアルバム・レコーディングの後に行われる、
日本公演(1966年6月~7月)での演奏中の物々しい警備のライフル銃を見て、
連想されたといわれるている。
ただその説も最近は俗説ではないかと言われている。
ただタイトルからイメージする
リボルバーのぐるぐる回るというイメージが
アルバム内容ののエッジの具合と
上手くこのアルバムの内容を表していると思う。

前述したように、このアルバムは
以前のビートルズとしては長時間のレコーディングを費やしている。
例えば「ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア」には
当時として異例の3日分レコーディングをあてがれている。
けれどもたった3日だ。
現代のレコーディングを基準にして贅沢にいえば、
音質面でまだ音を作りこみの余地があるようにも思える。
このアルバムの後、ビートルズは基本的により大作志向になり、
またビートルズ自身も年を取り、
そういった尖がった部分はストレートには表れなくなっていく。
また当時としては異例のレコーディング時間も
2019年現在の現代のレコーディングから見るととても短く、
当時ビートルズのメンバー、リンゴ・スターが26才、ジョン・レノンが25才、
ポール・マッカートニーが24才、ジョージ・ハリスンが23才と平均年齢24.5才と若く、
血気盛んな尖がった若者がつくったアルバムが十二分にあらわれている。
これより前の作品はアイドルであろうとし、かわいらしさを出していたし、
この後のアルバムは大作志向に意識としては基本となり、そういった尖がった部分は見えずらくなる。
そのことがこの後のアルバムにはない
尖がった部分が露骨に見えるところとミニマムさを感じるところなのだろう。
そういった露骨に見えた尖がった部分が刺激的でこのアルバムの魅力だ。

ただこの荒削りさと後述するミニマムさと
つぎはぎを感じるバラバラさが
上手い具合に合わさることによって、
聴いている人を刺激を溢れさせていることになる。
全体的にエッジのあるアルバムとして上手く表現することが出来た。
その荒削りが結果的にアルバム全体の持ち味になった。
それがこのアルバムの魅力であり、特色なのだと思う。

ビートルズはこのアルバムを制作した後、
1966年8月29日のサンフランシスコのキャンドルスティック・パークを最後に、
収入源でウェイトを占めていたはずのコンサート活動をやめる。
このアルバムの収録曲をライブでは、
演奏しない程にコンサートにおける活動に既にやる気を失っていた。
それでも音楽そのものをやめるわけでもないからこの後は、
よりアルバム制作を中心にしたコンテンツ制作に力を入れることとなる。
また、年に2枚出していたオリジナル・アルバムもこの年で途切れる。
年末には『オールディーズ』(1966年12月10日)というベスト・アルバムを出して、
年2枚アルバムを発売するという契約を4年間行い、レコード会社との契約を変更する。
内容の詳細は不明ながら、
契約を変更されたことにより、
ビートルズ側はレコーディング環境については相当有利な契約を結べたと考えられる。
そうした背景から、この次のアルバムは当時としては異例のレコーディング環境で制作することとなる。

1.タックスマン – Taxman
2.エリナー・リグビー – Eleanor Rigby
3.アイム・オンリー・スリーピング – I’m Only Sleeping
4.ラヴ・ユー・トゥ – Love You to
5.ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア – Here, There and Everywhere
6.イエロー・サブマリン – Yellow Submarine
7.シー・セッド・シー・セッド – She Said She Said
8.グッド・デイ・サンシャイン – Good Day Sunshine
9.アンド・ユア・バード・キャン・シング – And Your Bird Can Sing
10.フォー・ノー・ワン – For No One
11.ドクター・ロバート – Doctor Robert
12.アイ・ウォント・トゥ・テル・ユー – I Want to Tell You
13.ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ – Got to Get You Into My Life
14.トゥモロー・ネバー・ノウズ – Tomorrow Never Knows

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