ボブ・ディラン 『ボブ・ディラン』


新品CD▼Bob Dylan ボブ・ディラン▽セル専用

1962年3月19日発売。
ボブ・ディランはこのアルバムで
フォークシンガーとしてデビューする。

しかしボブ・ディランのルーツは必ずしもフォークではない。
子どもの頃はピアノを弾き、
学生の時はバンドではリトル・リチャードのロックンロールを歌っていた。

1961年1月、ボブ・ディランはニューヨークにやってくる。
フォークを強く意識したのはニューヨークにやってきてからだ。
なぜボブ・ディランはフォークを意識したのか?

まず一番の理由で
フォークは当時のニューヨークでは最先端の音楽だったからだと思う。
ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジは学生が社会的なことを題材にフォークで歌っていた。
1961年当時のアメリカではロックンロールは人気が下火になっていた。
ロックンロールやバンドスタイルの演奏が人気を、
アメリカで盛り返すのは
1964年初頭のビートルズのアメリカ上陸を待たなければならない。

それとバンドをやるとすれば、複数必要となり
(ボブ・ディラン曰く「バンドをやるには最低3人必要だ」そう)
デビュー前の経済的に余裕のない中で音楽活動する上で、やりやすかったことも挙げられる。

1961年10月、ボブ・ディランはニューヨークにやってきて間もなく、
大手のレコード会社コロンビアと契約する。
このフォークの老舗レーベルでなく、
大手のレコード会社と契約したことが、
後のキャリア、レコーディング環境を考えると大きくなる。

レコーディングは数々のミュージシャンを発掘したことで有名である、
ジョン・ハモンドによって
1961年11月20日・22日の2日間行われた。

内容は全編ブルース、フォークを
ギターとハーモニカ、ボーカルのみの弾き語りの演奏となっている。
オリジナル曲も2、12の2曲のみでそれ以外はカヴァーとなっている。
ボブ・ディランよりも前の世代と同時期のフォークシンガーと比べると
このアルバムからボブ・ディランの演奏や歌唱に力強さ、荒々しさを感じる。
これはもともとのルーツがカントリーやフォークに偏っていなくて
ブルースやロックンロールを素養としてもっていたことが大きいと思う。

1.彼女はよくないよ – You’re No Good –
2.ニューヨークを語る – Talkin’ New York –
3.死にかけて – In My Time of Dyin’ –
4.いつも悲しむ男 – Man of Constant Sorrow –
5.死をみつめて – Fixin’ to Die –
6.プリティ・ペギー・オウ – Pretty Peggy-O –
7.ハイウェイ51 – Highway 51 Blues –
8.ゴスペル・プラウ – Gospel Plow –
9.連れてってよ – Baby, Let Me Follow You Down –
10.朝日のあたる家 – House of the Risin’ Sun –
11.貨物列車のブルース – Freight Train Blues –
12.ウディに捧げる歌 – Song to Woody –
13.僕の墓をきれいにして(旧邦題:僕の墓はきれいだよ) – See That My Grave Is Kept Clean –

コメント

タイトルとURLをコピーしました