1980年3月24日発売。
ツッコミどころは多く、
しかし魅力や聴きどころは
相当多かった前作『L.A. (ライト・アルバム)』(1979年)は
売り上げとしてはアメリカの週間アルバムチャートは最高位100位、
最悪に近かった。
(もっともその前の『M.I.U. アルバム』(1978年)は151位と更にひどく、
改善したようにも見える)
ただレコード会社もこのアルバムの内容として光るものを感じたのだろうか、
次のアルバムの制作
この『L.A. (ライト・アルバム)』の売り上げ不振は
ブライアン・ウィルソンが作曲にあまりかかわっていないことが原因と見たらしく、
ブライアン・ウィルソンが作曲した作品でアルバムを収録するように、
対策をとる。
そのひとつとして、かつてビーチボーイズが60年代にレコ―ディングを行っていた
ウエスタン・スタジオでアルバムを制作するように手配する。
ブライアン・ウィルソンが作曲、アルバム制作しやすいように環境をと整えるためだった。
しかしブライアン・ウィルソンは当初、ウエスタン・スタジオで作曲、
アルバム制作を行っていたけれど制作を放棄。
さらに、このアルバムの制作途中にさらにデニス・ウィルソンとマイク・ラブが対立を激化し、
デニス・ウィルソンがビーチボーイズから離れるという事態に。
そうしてデニス・ウィルソンも参加が限定的になる。
そうした中でアルバムを制作を余儀なくされた状況で
ブルース・ジョンストンが奮闘したと思われる。
前作『L.A. (ライト・アルバム)』の
プロデュースのクレジットがブルース・ジョンストン&ザ・ビーチ・ボーイズ&ジェームス・ガルシオ
であったのに対して、
このアルバムではブルース・ジョンストンが単独でクレジットされている。
さらに最後の曲10.「エンドレス・ハーモニー」は彼の単独作で
貢献度を高めている。
そしてアルバムとしてストックがなかったのだろうか、
8.「ホェン・ガールズ・ゲット・トゥゲザー」は
『サンフラワー』(1970年)のために
レコーディングしていた相当古い音源で
10年越しこのアルバムに引っ張きた。
アルバム制作で困っていたことが伺えられる。
内容全体的には、
そうした制作状況であったのにもかかわらず
ビーチボーイズの底抜けの明るさを強調したアルバムとなっていて、
アルバムとしてのまとまりが感じられる。
よくこのアルバムをまるでセルフ・パロディーのようだと形容して
評価されるけれど、
それはさすがに違うと僕は思っていて、
このアルバムのテイストはそれまでビーチボーイズにはなかった。
決してマンネリではない。
ただ評価が高いビーチボーイズのアルバムにあった
毒気、翳りが少ないのは確か。
結果的にアルバムでブライアン・ウィルソンは6曲作曲、
作詞も久しぶりにマイク・ラブと組んでいる曲が多い。
アルバムの売り上げはさらに『M.I.U. アルバム』少し改善して
アメリカのアルバム週間チャート最高位75位を記録。
ただそれでも、アルバムの売り上げは低迷していることには変わりなく、
ビーチボーイズはアルバムを制作することは5年間なかった。
1.キーピン・ザ・サマー・アライヴ – Keepin’ the Summer Alive
2.オー・ダーリン – Oh Darlin’
3.サム・オブ・ユア・ラヴ – Some of Your Love
4.リヴィン・ウィズ・ア・ハートエイク – Livin’ with a Heartache
5.スクール・デイ – School Day (Ring! Ring! Goes The Bell)
6.ゴーイン・オン – Goin’ On
7.サンシャイン – Sunshine
8.ホェン・ガールズ・ゲット・トゥゲザー – When Girls Get Together
9.サンタ・アナ・ウィンズ – Santa Ana Winds
10.エンドレス・ハーモニー – Endless Harmony
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