ASKA 公開MV撮影

8月16日に行われたASKA公開MV撮影のエキストラとして当選した。
そこでASKAの公開MV撮影の一連の流れを、また当日の様子を淡々と語りたいと思う。

もともとミュージシャンとして好きだった。
ASKAはブログで何気ない日常について、つづっていた。
その中に事件後に世間や社会の冷たい目のなかでも
それでも彼の音楽をやり続けようという姿勢に興味を持ち、
むしろ音楽と向き合うことが心の支えだとという姿勢に僕は好感を持っていた。
僕は彼がブログを再開してから時折記事を読んでいた。

そんな中でブログ内で公開MV撮影のエキストラとして募集する記事があり、
僕はまあ、当たらないだろうと思いつつ、でも当たったら、
あれだけのミュージシャンの生演奏をまじかに聴けるのは
いい経験になると思ってダメもとで応募した。

そしてさらりと当選のメールが来るわけだが、
募集300人に対して約1万の応募が来たことは知らず、
よし来週楽しみにしておこうと割と軽い感じでメールを受け取っていた。

ASKAのブログで応募したのに落選した人が、
特に昔からの熱心なファンが残念な気持ちをコメント欄にて残していた。
僕は世の中の流れという不思議さ、いったい運というものは何なのかと少し考えていた。

当日まで公開MV撮影の当選チケットでトラブルが起きていた。
それは人気あるアーティストのコンサートチケットでよくあることなのだが、
そのコンサートチケットを正規の数倍、また数10倍の価格で売られるというダフ行為が
起きていた。
この公開MV撮影のチケットは無料なのだが、それをオークション通して9万円で買った人がいたのだ。
需要と供給にバランスが崩れるとどんなものでもダフ行為が起こりうるというのは
今思えば当たり前のことだと思うのだが
コンサートチケットではないため、ある意味盲点になってしまっていた。
僕も問題が発生するするまでその可能性があることに気づかなかった。

ここでASKAサイドは注意事項に転売禁止と書いていないかったため、
その盲点を認め、この9万円で手に入れた人のみ転売でチケット入手を認めるとしていた。
もっとも少し後にこの人も偽名でチケットを手にいれていた等の問題があったようで、
不正とみなされることになる。
それをブログ内で「金を溶かして特別席を用意してます」とASKA独特のギャグを表現し書いていた。

8月16日の当日はその先週から丸々一週間雨が降り続いていて
僕はASKAの公開MV撮影に近づくにつれて
「いつまでたってもこの雨はやみそうにない雨なんだな」と心の中でつぶやいていた。

20時に集合するようにメールに書かれていた。
場所は都内某所、どこか言えないと思うのだが
日本を代表する建築物のとなりにあるスタジオといっておこう。
持ち物は小さなポーチのみOKで、荷物は駅のロッカーに預けて場所へいった。

撮影開始20分前に到着すると入り口の前にマスコミが十数人ほどいて、
彼の活動について、取材しようとしていた。
横にすでに長い列ができていて、僕は最後尾にならんだ。
前の人、美女と男性のカップルだったと思う、がテレビの人からインタビューを受けていた。
彼が活動を本格的に再開するようですがどうですか?
僕はスキャンダルにまみれた報道なんて見たくなかったし、
何より巻き込まれてテレビに映るなんてしたくなかったから、
前の人がインタビューしている間、座って映らないようにしていた。

QRコードを印刷した紙と本人かどうか証明できるものをもって、入り口に入った。
僕は運転免許証を提示した。
入り口に入った後、エキストラであることをすぐに確認できるよう腕にテープをつけて
スタジオの中に入った。

スタジオの中ででは、すでに大勢の人が楽器を囲む半円のようになっていて
僕はスタジオの入り口から左奥へ立って撮影が始まるのを待っていた。

演奏が始まるまでは長かった。
比喩ではない、丸々1時間待っていたのだから。
その間指示がときおりあり、
それに従ってエキストラの人たちはまだかまだかと待ち焦がれていた。
僕はそのとき少し背中が疲れていて、
張りを覚えていたから5分ほど座ってしまった。
僕もまだかまだかと待っていた。

マスコミの人、友達、バンドが入りそして本人が登場しますと
スタッフは指示の中で伝えていた。

マスコミの人の中でエキストラの半円に交じって
カメラの有利なポジションを取ろうとしていた人がいたが
入りきらず断念していた。
友達が入りますとスタッフがアナウンスし、
現れたとき、何人かのエキストラの人がざわついた。
僕はそのとき友達のだれも知らなかった。

あと少し気になったのはその友達の半数は
とても若く美人の女性たちだったことだ。
5、6人程の女性は僕の向いの最前列にスタンバイした。
一体彼女たちは何者だったのだろうか。

それはそれとして
段取りが進むにつれて
本人登場まであともうすぐだと、実感して待ちわびていた。

スタジオに入って1時間後、ついに始まった。
ASKAがついにファンの前に現れた。
騒動後初めてのことだったらしい。
「みんな、ゴメン」と軽くMCでいった。
この軽さが僕にはASKAはこれから前向きに音楽をやるんだと思わせた。

僕のあと20mにはもうASKAはいる。それぐらい近かったのだが。
それぐらい近くにいると、バンドの音はさぞかしうるさいんだろうなと思っていたのだが
実際うるさいという気持ちはまったくなかった。
とても慎重に音響を調節したんだなと思った。

演奏が2曲程終わり4人ほどお世話になった人をエキストラの人に紹介して
トークをしていた。
知っていたのは元クリスタルキングのメンバーのひとりで、
ただそれも僕は名前を知っていても紹介するまで僕は気づかなかった。
印象的だったのは、とてもはっきりと、でも機嫌よく自分の身の上話をしていたことだった。
お世話になった人と挨拶が終わった後、
ASKAは東京オリンピックについて語りだした。
1964年のオリンピックのとき、子どもの頃無邪気にはしゃいでいて
またいつか東京でオリンピックがあればいいなと思っていたけれども
こんなに早く実現できるなんて思わなかった、
ということをいってたことを記憶している。
そしてオリンピックのテーマソングを作ったことを述べた。

その曲は、かつてリポーターがテレビで勝手に流された曲であり
とくに誰かに頼まれたわけではないが作った、
今回は素晴らしい映像とともに是非聴いてほしいと述べ、
エキストラに参加した人達に感謝を述べASKA本人は退席した。

本人退席後、映像と音楽が流れた。
そこにはアスリートが美しく映されていた。
音楽はオーケストラのインストルメンタルで力強さと壮大さを感じられた。

映像のアスリートの姿は静止画とスローモーションを織り交ぜていて、
どれも肉体と一瞬にかける刹那的な美しさを感じられた。
僕は魅了された。
古代ギリシアでオリンピックがあり、
そして千年以上の長い時がたって、またオリンピックが「復活」したのは
肉体に宿る美しさを求め称えかったからではないかと僕は感じた。
映像はその美しさを見逃さなかった。

終わったのが9時50分ごろだったと思う。1列ごと整列してスタジオから出るよう指示があり、
エキストラの人たちは順番に出て行った。
何人かの人は少しとどまり、
ASKAのバンドが使って置いてある楽器を前に記念撮影をしていた。

スタジオのある建物を出たときに、
2組ほどテレビのインタビュアーにつかまって、質問に答えていた。
一組は20代から30代の女性で、もう一組は子供と父親だった。
僕は静かに会場をあとにした。

今に思えば、イベントの一連の出来事は少し騒がしくもあっという間で
あのあそこにいた誰もが喜びに包まれていたあの場所がもう懐かしくなっている。

それにしても最後に流されたあのオリンピックをテーマにした映像と音楽
どこかでアップロードしてもらえないだろうか。
それぐらい素晴らしいものだった、何よりも僕自身がまた見たい。

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