吉田拓郎 『人間なんて』


よしだたくろう 人間なんて

1971年11月20日発売。
吉田拓郎の2ndアルバムである。
ライブ・アルバム『よしだたくろう オン・ステージ ともだち』(1971年6月7日)を出した後も、
地道ながら精力的に活動をしていた。
その中で第3回全日本フォークジャンボリー(1971年8月7日~9日)に参加し
「人間なんて」を長時間演奏するといった話題を呼ぶといった、
人気や知名度は着実に伸ばしていった。
その中でこのアルバムは発売された。

このアルバムを発売した後、
吉田拓郎は1972年1月にエレックからCBSソニーへとレコード会社を移る。
レコード会社がインディーズから大手のレコード会社に変わったことを意味し、
レコーディング、売り込みの環境づくりも整うようになる。

このアルバムから1972年1月21日に『結婚しようよ』がシングルとして発売され、
年間シングルで14位を記録し、ブレイクすることとなる。
そういった意味でこのアルバムは吉田拓郎のキャリアで見ると
ブレイク前夜を記録したアルバムとなっている。

このアルバムのクレジットで
プロデューサー吉田拓郎、
ディレクター加藤和彦、木田高介と書かれている。
前半と後半の1曲目が加藤和彦、
その後は木田高介がアルバムのサウンドを構築し、
吉田拓郎がアルバム全体を監督・監修したと思われる。
ニューミュージック畑のミュージシャンが
大勢参加した豪華なアルバムとなっていて、
音の多彩さを感じられる。

ジャケットが素晴らしい。
パンタロンを履いた決して派手でないどちらかというと、
地味な服装で、どこか遠くを眺めている吉田拓郎のカッコよさと、
きれいな家じまいというわけでない当時の生活感が
出ているアパートの鉄の階段に座っている写真が
70代初期の空気感を閉じ込めたようでアルバムの世界観をうまく表している。

実は僕が初めて手にした吉田拓郎のアルバム。
どのアルバムを買おうか迷ったとき、
このジャケットの素晴らしさを信じて手にした思い出がある。
実際に手にして
その考え方は決して間違っていなかったと思うくらい、
アルバムの内容は聴きどころがある。

全作詞・作曲:吉田拓郎
except 3.作詞:伊庭啓子 補作詞:よしだたくろう
6.作詞:岡本おさみ

1.人間なんて
代表曲。歌詞も含めてやけっぱちの曲。
ライブで歌うときは、そのやけ具合を強調して
ジャムセッションのように披露するのだけれど、
ここではまるで河原でひとり弾き語りを
すねたように歌っているみたいだ。
それでも吉田拓郎の弾き語りに
ハーモニカがオブリガードをつけるといった
弾き語りだけの隙間を上手く埋めている。

2.結婚しようよ
この曲はアルバム発売後に
1972年1月21日にシングルとして発売された。
(カップリングは次の曲「ある雨の日の情景」)
音源はこのアルバムに収録されているそのままである。
にもかかわらず何故か発売元、レーベルはCBSソニーである。
エレックが権利を持っているはずの音源を
CBSソニーでシングル発売するやり方は、
『よしだたくろう 青春の詩』(1970年11月1日)に
収録されていた「今日までそして明日から 」をシングルとして発売すること
から行われている。(シングル『今日までそして明日から』は1971年7月21日)
なぜそのような形態で発売しているのか、あるいは出来たのか。
僕としては謎である。

スライドギター、バンジョー、
楽しげで華やかなカラフルなサウンド。
間奏のオルガンが結婚式を思わせる。
優し気にたけど朗らかに歌う。
どの曲もそうなのかもしれないけれど、この曲は特に、
メロディ、サウンド、歌詞、ここでの歌唱といった総合あっての
名曲であり、ヒットなのだと思う。
この世界観はライブでも再現すること難しかったのだと思う。
吉田拓郎はこの曲をライブであまりやらなかったみたいだ。
残っているライブ音源でも決してこの曲の世界観は出ていない。
そういった意味でこの世界観はこの音源にしかないと思える。

3.ある雨の日の情景
同じ広島フォーク村にいた伊庭啓子が歌詞を担当している。
伊庭啓子は後の吉田拓郎『御伽草子』(1973年6月1日)で、
「春の風が吹いていたら 」という曲を提供している。
(実際は曲提供というよりも、カバーだったらしい)
彼女に関する情報が少なく、2曲しかないだけに、もっと作品を聴いてみたかった。

追っかけのコーラスがこの曲の強度を補強していて、
このアルバムはフォークを基調にして、
音の色彩を巧みにつけているところが聴きどころだと思える。

4.わしらのフォーク村
素朴だけど、楽し気な唄。
スライドギター、バンジョー
広島弁の歌詞が登場する。
フォークというと
4畳半フォークという貧相なイメージがついてしまうけれど、
こういった音のつけ方が巧妙に避ける事に成功している。

5.自殺の詩
まさに命を絶とうとした歌詞ともとれる、
歌詞のタイトルはまさにそう。
ただ最後の「今日のすべて バイバイ」というフレーズが
あくまで今日を終わらせた、肯定的な曲にも思えてくる。
ラフなリラックスしたような演奏も心地よい。

6.花嫁になる君に
初期のボブ・ディランを彷彿させる
スリーフィンガーのアコースティックギターが印象的なサウンドの曲。
僕はボブ・ディラン「北国の少女」を思い出した。
(『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』(1963年5月27日)に収録)
演奏、曲調が似ているからなのだろうか、
僕はこの2曲のアコースティックギターの質感や
歌声(声質が違うといえど)の響きが違いが気になった。
比べて聴くと、ボブ・ディランのギターの音の方が乾いている。
自分の主観で正直にいうと、音源を聞いた限り、
ボブ・ディランの録音の方が環境がいいのではと思った。
僕としては日本とアメリカで録音するとこう質感が違うということが
分かりやすく、興味深かった。

また歌詞面ではこの後、吉田拓郎の多くの曲の作詞を担当することとなる
岡本おさみとこの曲から初めて組むこととなる。

7.たくろうチャン
コミックソング、吉田拓郎には実はこういった曲が結構ある。
ライブ・アルバム『たくろうオン・ステージ第二集』( 1972年12月25日)
にはそういった曲がまとまって収録されている。
こういった底なしな明るさが吉田拓郎の魅力で、
このことがそれまでのフォークと一線を画した資質を持っている垣間見れる1曲。
遠藤賢司のハーモニカが心地よく(「人間なんて」は吉田拓郎のハーモニカ)
「人間なんて」と同じような方法で貧相さをなくしている。
「人間なんて」と弾き語りとハーモニカだけでなく、
右側にギターのオブリガードが聴こえ、曲調に合わせている。

8.どうしてこんなに悲しいんだろう
「結婚しようよ」と並ぶ、このアルバムのハイライトになる曲。
歌詞も悲しくなることに理由がわからない、
吉田拓郎の天邪鬼な人間性をストレートに上手く表現している。
サウンドが王道のJpopのフォーク・ロックのバンドアレンジの曲みたい。
(この頃Jpopという言葉はない)
吉田拓郎の曲でここまでJpopらしい曲はなく、
この後、全体的に歌謡曲になる吉田拓郎としても珍しい曲調である。

ここまでが加藤和彦によるアレンジ。
曲ごとに様々な演奏形態が異なる多彩なフォーク・ロックサウンドが
聴くことが出来、聴けば聴くほど、心地よい。
サウンドに古くさがあまり感じることがなく、洗練さを感じる。
それほどに全体的に加藤和彦がこのアルバムで作り上げたサウンドが
当時としては垢ぬけているということなのだろうか。

9.笑えさとりし人ヨ
この曲からサウンドが変わり、
演奏がジャズ色が感じるブラスバンドとなる。
アレンジはこの曲から4曲は木田高介によるもの。
木田高介は60年代のロック・バンド元ジャックスで
1969年の解散後は
アレンジャーに転向した。
フォーク系のミュージシャンのアレンジャーが主である。

歌詞は高度経済成長で発展していた日本の中で、
順調に物質的に豊かになりながら、
それ故保守的になって流されている
当時の社会の人たちに疑問を投げている内容。
僕は大学時代にこのアルバムを初めて聴いた時、
この曲がかなり気に入っていた。
J-popに近い、ストレートなメッセージソングだったからだろうか。
それとも50年近くになっても
日本の社会そのものがあまり変わっていないと意味であるのだろうか。

10.やっと気づいて
ブルース形式の曲。
実感としては歌謡曲の曲調。
よくも悪くもサウンドに時代を感じる。
僕としては右の生ブラスによる要因が大きいのではと感じた。
それでも吉田拓郎のざらついた声は歌謡曲としてカドを感じる。

11.川の流れの如く
サウンドは歌謡曲を大きく感じても、
前曲と同様吉田拓郎のカドがある歌い方が魅力である。
この後に歌謡曲を全面的に出す吉田拓郎。
それでも後のアルバムと違い毒を感じるのは、
このアルバムを出した時点で、生活が決して安定しているわけでない
ハングリーさが出ているからだろうか。
このアルバムの魅力なのだろう。

12.ふるさと
「古き良き日本」をテーマにした唄で
和やかなな曲調で歌い大団円となる。
広島フォーク村の仲間意識にも通じる連帯を感じる曲調で
この曲をアルバムの最後に配置することで
楽しい気分を残したまま、
アルバムを聴き終えてもらいたかったのだと考えられる。

イントロに和やかなで騒がしいおしゃべりがSEとして出てくる。
大人数に混じって録音しているようで、
そうでないところが
アルバムの作りこみ姿勢として面白い。

コメント

  1. テッチャン より:

    音源はこのアルバムに収録されているそのままである。
    にもかかわらず何故か発売元、レーベルはCBSソニーである。
    エレックが権利を持っているはずの音源を
    CBSソニーでシングル発売するやり方は、
    『よしだたくろう 青春の詩』(1970年11月1日)に
    収録されていた「今日までそして明日から 」をシングルとして発売すること
    から行われている。(シングル『今日までそして明日から』は1971年7月21日)
    なぜそのような形態で発売しているのか、あるいは出来たのか。
    僕としては謎である。

    上の件ですが、エレックが放漫経営で倒産したさい、吉田拓郎が自身やその他の歌手の分の版権を持っていったと聞いたことがあります。ラジオの番組で山下達郎が言っていたのかな。吉田拓郎や泉谷しげるは稼ぎ頭だったので、印税もしくは給料の未払いが多かったせいのようです。

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