1963年3月22日発売。
ビートルズのファースト・アルバムである。
ビートルズは
1962年10月5日シングル『ラヴ・ミー・ドゥ』で
本格的なレコード・デビューをする。
(それ以前にレコード・デビューはしていた)
シングルは地域で1位を獲得し、
最終的に1962年12月27日付けの全英シングルチャートで17位まで上がる。
そして翌年の次のシングル『プリーズ・プリーズ・ミー』を1963年1月11日に発売すると、
売り上げは順調に伸ばし、ヒットを見せていた。
その勢いのまま、アルバムを制作することを計画する。
けれど、
このシングル、週間シングルチャートで1位を獲得するのは、
2月23日付け(イギリスの音楽雑誌ニューミュージカル・エキスプレス(NME紙))で、
このアルバムのためのレコーディングをした後のことである。
そのことを考えると、アルバム制作は当時としてやや早めに計画されていたことになる。
当時のLPは高価で、
ビートルズのファン層だった若者が気軽に購入できるものではなかった。
レコード会社側としては一応アルバムは出すけれど、
売れるかどうか保証できないアルバムに予算はかけられない、
1日でアルバム収録すべて録ってくれといわれたのだろう。
そうした状況下で
このアルバムは1963年2月11日、1日でビートルズの演奏が録音された。
アルバムの内容は
このアルバムのために10曲を録音し、
加えてデビューシングル『ラヴ・ミー・ドゥ』、
『プリーズ・プリーズ・ミー』のカップリング含めた
4曲(6、7、8、9)を含めた計14曲を収録している。
内訳でオリジナル8曲、カヴァー6曲となっており、
この収録のスタイルは
2ndアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』(1963年11月22日)、
4thアルバム『ビートルズ・フォー・セール』(1964年12月4日)
にも踏襲することとなり、おなじみの初期のアルバム・フォーマットとなる。
ただビートルズはアルバム(LP)の収録内容に当たって、
シングルは当然買って、
当時、高価でなかなか気軽に買うことのできないアルバムを買う熱心なファンに
シングルとして発表された音源を2度買わせるということは
申し訳ないことだとして、
この後のアルバムには
原則シングルとカップリングで収録した曲を収録しなくなる。
またアルバムジャケットのデザインも、
2枚目のアルバム以降、ビートルズ自身が関与するようになるため
この後のビートルズの歴史から見ると、
アルバムの全体の作りは
かなりレコード会社側に妥協した内容となっている。
しかも、このアルバムで
レコーディングスタジオの機材上、
録音は2トラック、2つ分の音しか録音できないことなる。
そこで後でビートルズの演奏の上に何か音を追加することを考えて、
ビートルズの演奏は一斉に演奏し、録音することとなった。
そうしたためか1.「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」で
バス・ドラムが聴こえない。
前述した理由で
アルバムのために録音された曲は
実質スタジオ・ライブで録音された。
そのことがこのアルバムの最大の持ち味となっている。
当初はこのアルバムを制作するにあたって
ビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティンが
ビートルズがデビュー前に
慣れ親しんで演奏していたライブハウスのキャヴァーン・クラブでのライブを
アルバムとしてレコーディングする予定があったという説があるくらい、
ビートルズのライブは魅力的で強みである。
ただもともと当時の録音環境では、
ロックバンドがライブレコーディングすることは困難だった。
60年代前半に公式にライブレコーディングされたロックアルバムは
僕が知る限り、
ヤードバーズ『ファイヴ・ライヴ・ヤードバーズ』(1964年12月3日)くらいで、
ライブ盤はほとんどない。
ライブが魅力であるローリング・ストーンズやザ・フーですら、
公式にはライブ・アルバムは60年代終わりまで発売されていない。
(ローリングストーンズは
レコード会社がメンバーとしては非公認で、強引に発売した
『ガット・ライヴ・イフ・ユー・ウォント・イット!』(1966年11月28日)がある。)
1963年当時、ロックバンドがレコードとして出す目的で、
音質としてライブを録音することは実質不可能で、
アルバムで発売するには
スタジオ・ライブにしなければならない。
ただ音は演奏の荒々しさに比べて、きれいに品がよく録音されている。
ビートルズはライブで
このような演奏をしていたのだろうと想像できるけれど、
それでいて内容の激しさに対比するような
当時の録音エンジニアが作り上げたきれいな音。
この録音のされ方が
60年代前半のイギリスのポップなバンドのスタイルであるマージ・ビートの、
アレンジ以外の特徴のひとつなのでは、と僕は考えている。
それがこのアルバムのもうひとつの特徴となっている。
まるで、おぼっちゃんが我がままで駄々をこねているようなサウンドだ。
僕にはこのアルバムを聴いたとき、
アイドルさを前面に押し出していている
このアルバムのジャケット写真を見ながら、
ビートルズの、新人の、自身の音楽を売り込むことの必死さを感じることがある。
アルバムのために演奏した10曲は
オリジナル4曲(1、2、11、13)、
カヴァー6曲(3、4、5、10、12、14)となっている。
アルバムでビートルズが演奏するための録音は1日しかない。
それでもアルバム制作のために与えられた貴重な1日しかない録音時間の多くを
オリジナル曲の4曲に時間を費やしている。
2月11日に費やしたテイク数で見てみる。
オリジナル曲
「1.アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」ベーシック演奏9テイク、オーダーダビング含めて12テイク
「2.ミズリー」演奏11テイク
「11.ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」ベーシック演奏6テイク、8テイク
「13.ゼアズ・ア・プレイス」ベーシック演奏10テイク、13テイク
カヴァー曲
「3.アンナ」演奏3テイク
「4.チェインズ 」演奏3テイク
「5.ボーイズ」演奏1テイク
「10.ベイビー・イッツ・ユー」ベーシック演奏3テイク
「12.蜜の味(ア・テイスト・オブ・ハニー)」演奏5テイク、7テイク
「14.ツイスト・アンド・シャウト」演奏2テイク
このことは限られたスケジュールの中で、
出来る限りオリジナル曲を
クオリティー高く録音しようと考えていたこと、
またオリジナル曲だから、元々のネタがあるカヴァー曲と違い、
試行錯誤が必要であったことを意味している。
さらにこの日は演奏に不満があり収録されず、
最終的に次のアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』(1963年11月22日)に収録される
「ホールド・ミー・タイト」を13テイクも演奏している。
そのことを含めるなおさら、前述のことを感じる。
カヴァー曲は基本的に今までライブで演奏した中から選び、
ライブ通り、演奏すればいい。
1日しかないという時間の限られたレコーディングにあって、
デビューすることに苦労し、
長い下積みで年月が掛かり、
カヴァー曲を場数を多く踏んで演奏してきたことが
ここでは功を奏した。
アルバムの売り上げは、
当時のイギリスの週間アルバムチャートで30週1位を記録、
このことはイギリスの音楽状況を大きく影響したと思われる。
このビートルズの成功は、ロックグループの成功となって、
同時期のイギリスのロックバンドのデビューが容易になり、
また音楽活動そのものがやりやすくなったのではないだろうか。
1.アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア – I Saw Her Standing There
2.ミズリー – Misery
3.アンナ – Anna (Go To Him)
4.チェインズ – Chains
5.ボーイズ – Boys
6.アスク・ミー・ホワイ – Ask Me Why
7.プリーズ・プリーズ・ミー – Please Please Me
8.ラヴ・ミー・ドゥ – Love Me Do
9.P.S.アイ・ラヴ・ユー – P.S. I Love You
10.ベイビー・イッツ・ユー – Baby It’s You
11.ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット – Do You Want to Know a Secret
12.蜜の味(ア・テイスト・オブ・ハニー) – A Taste of Honey
13.ゼアズ・ア・プレイス – There’s a Place
14.ツイスト・アンド・シャウト – Twist and Shout
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