『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』(映画)


ビリー・ザ・キッド/21才の生涯 (字幕版)

1973年5月23日公開された映画ある。
監督はサム・ペキンバー、
ボブ・ディランが音楽を担当、そして脇役として出演した映画である。
記事としてはボブ・ディランにまつわること中心に書こうと思う。
ややネタバレも含んでいるのでご了承願いたい。

ボブ・ディランは
サム・ペキンバー作品を気に入っており、
今作で映画出演を果たす。
これまで自身のライブツアーを映した
ドキュメンタリー映画『ドント・ルック・バック 』(1967年)で映画デビューは果たしているけれど、
この作品では一役者として出演している。

映画の物語はこうである。
19世紀のアメリカ西部、主人公ビリー・ザ・キッドはならず者で指名手配犯として追われていた。
追う側の保安官パット・ギャレットは元々ならず者で生活のためについ最近保安官となる。
ならず者のときにはビリーと知り合いだった。
ビリーはあちこちでならず者行為をしつつ、
最終的には保安官パットに撃たれ亡くなる。
保安官は仕事を終え、しかしどこか釈然としないまま去るのであった。

物語は大筋としては単純で、設定もまた
いかにもステレオタイプのカウボーイが追われ、
保安官が追うといったもので、とても分かりやすい。

暴力的な描写が多く、場面によって女性の裸も多く登場することで
映像そのものは小学生に見せられるものではない。
ただ当時19世紀末アメリカ西部の退廃的な舞台を
リアリティを出すために必要な映像やシーンであったと思う。
僕はそのようなシーンが出ることに違和感は感じなかった。
出てくるひとつひとつのシーンや
ディテールとしては魅力が多く、
映像の緊張感とテンポが良く映像として必要なものとしての説得力があった。

ボブ・ディランの役どころについて記述しようと思う。
まず映画としてボブ・ディランの役回りは、
主人公ビリーのなるずもの行為の姿を見てあこがれ、
友達として、ついていく若者
といったエイリアスという役で、出演している。
出番としてそれなりに登場するけれど、主演ではなく、
一脇役としての出演である。

そのボブ・ディランの出演について思ったことは
まず、この映画は
ビートルズが主演『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』(1964年)、
『ヘルプ!4人はアイドル』(1965年)、
エルビス・プレスリーが出演した諸作(例えば『ブルー・ハワイ』(1962年))、
エミネム『8 Mile』(2002年)
といった
出演するミュージシャンのカッコよさありきで見せる映画とは違うということである。

道中ビリーと分かれた後、
保安官パットに出くわし脅されて、
脅しに屈して続けるといった少々情けない部があり、
ビリーについていく姿も全体として少々頼りない印象があり、
ボブ・ディランが演じるエイリアスはあまりカッコいい役ではない。
ボブ・ディランはこの映画ではアイドル・タレント映画のような出演として登場していない。

正直、映画として見るとボブ・ディランが物語の筋と関係なく、
やや無理に出所が多いといった感があるにあると感じられた。
ただ当時既に大物ミュージシャンとなっていたボブ・ディランが出演しているからといって、
作品そのものはボブ・ディランありきで映画が成り立っているわけではない。

目玉のひとつである音楽について語りたいと思う。
音楽は主題歌だけでなく、
劇中に流れている楽曲もボブ・ディランが担当している。

歌ものの挿入歌である「メイン・タイトル・テーマ(ビリー)」は映画に沿った歌詞で、
挿入されるインストルメンタルも映画に沿っていて効果的に使われている。
ボブ・ディランが映画のために、曲を作ったことが分かる。
全体的にこの映画のために音楽を提供するということを卒なくこなしている。
いくつか流れる挿入歌の歌詞はこの映画の脚本に沿ったものであり、
流れる音楽の曲調もまたカントリーテイストの曲調で映画の世界観に合っている。
映画鑑賞していて、
ボブ・ディランの音楽と映像に違和感がなく、
音楽はむしろ映画のシーンと上手く合わさった
サウンドトラック単体ではなかった音楽の素晴らしさを感じた。

この頃のボブ・ディランは『ジョン・ウェズリー・ハーディング 』(1967年)から始まる、
カントリーについて探究していた時期であった。
この2年後にはロックやパンク色を取り入れた音楽になるだけに、
カントリーに専念した最後の時期に当たる。
だからこのカントリーテイストの一連の曲は結果的に成功した産物だったのか、
ボブ・ディランの柔軟的な資質から出たのか個人的には気になるところである。

この映画のために書き下ろした曲の中で、
代表曲のひとつ「天国への扉」がある。
後に多くのミュージシャンにカヴァーされる有名な曲である。
その「天国への扉」もストーリーに違和感なく使われている。
「天国への扉」が使われる場面はこのような場面。
ある人物は撃たれ、その人物は傷口から自分がもう助かるような状態でない悟り
最後の時を途方もなく漠然と何か感じりながら当てなくふらつき歩く。
まさに「天国への扉」が開こうというときに音楽が流れるのであった。
その人物に付き添っている奥さんがいて、
その姿を見ながら奥さんが嘆き悲しむ姿は印象的であった。

僕が思うにボブ・ディランはこの時期、
映画についてとても興味を持っていた時期で
映画作りの勉強のために出演したのではないかと考えている。
そのことは
数年後のボブ・ディランが監督、脚本した『レナルド&クララ 』(1978年)の制作につながる。

実は僕にとって初めてのサム・ペキンパー作品であった。
ボブ・ディランとは別に
元々サム・ペキンパーについて興味があっただけに
映画監督についても意識した上で鑑賞していた。
前述したように、監督独自の緊張のある映像があったと感じた。
今後、機会を見つけて、
サム・ペキンパー作品を見ていこうと思っている。

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