ザ・ビーチ・ボーイズ 『ビーチ・ボーイズ’69(ライヴ・イン・ロンドン) 』


Live in London

1970年5月発売。
1968年12月8日のイギリスAstoria Theatre公演の模様を
収録している2作目のライブ・アルバムである。
ビーチボーイズは60年代末、本国アメリカではバンドの人気が低下していた。

そのかわり、イギリスでは65年から人気に火が付き、アメリカ以上の人気を博す。
『サーフィン・U.S.A.』 が1965年8月にイギリスで発売され、(アメリカでは1963年3月)
このアルバムはイギリスで17位を記録する。
その後、イギリスで
1966年2月『ビーチ・ボーイズ・パーティ』 が3位(アメリカでは1965年11月発売、6位)、
1966年4月『ザ・ビーチ・ボーイズ・トゥディ』 が6位(アメリカでは1965年3月発売4位)、
1966年『ペット・サウンズ』は
アメリカの週間アルバムチャート最高位10位であったのに対して、
イギリスの週間アルバムチャート2位を記録する。
この差はどこから来ているのか。
このことから、当時のイギリスはアメリカより音楽に先進的で
耳が肥えていたという話が出てい来るが、僕は違うと思う。
個人的にはこの『ペット・サウンズ』は
それまでのビーチボーイズに比べて
アメリカにとって曲調や内容的に内省的すぎて、
それが当時のイギリスの好みだったのだと思う。
同じ英語圏で文化や価値観をつい一緒にしがちだけれど、
アメリカとイギリスは価値観や好みが違う。
そういう観点から両者間でバンドやアルバムに人気に
差が出ていることは
ビーチボーイズに限らず、たくさんある。

録音するにあたって、反応のよさを狙い
アメリカではなく、イギリスを選んだものと考えられる。
当時のイギリスでの人気の高さを物語っている。

このライブ・アルバム、
本国アメリカでは
『エンドレス・サマー』(1974年)で
大ヒットして人気が急上昇し、ビーチボーイズが注目され
ようやく1976年になって発売される。
その際に「ライヴ・イン・ロンドン」から
「ビーチ・ボーイズ’69」と名前を変更して発売。
おそらくイギリス公演ということを全面にしたタイトルが、
アメリカでは売り上げの足を引っ張ると考えた処置だったと考えられる。
ただ何故1968年のライブであるのに、
「69」というタイトルにしたのかは分からない。
そしてこのアルバムは
そのまま「ビーチ・ボーイズ’69」という名前で定着することとなる。

ブライアン・ウィルソンは1964年末から基本的にライブへ参加していない。
ブライアン・ウィルソンがボーカルを担当していた曲は
アル・ジャーディンが代わりに歌っている。
ジャケットに手紙として「Brian,Wish You Were Here!」
(ブライアン、ここにいればいいのに!)
と書かれている。
すでにブライアン・ウィルソンはビーチボーイズのコンサートに出なくなっていた。
にもかかわらずの
このメッセージは少し健気さと寂しさを感じさせる。

内容としてはバンドの演奏に勢いを感じられる。
サポートミュージシャン、ブラス隊も従えての演奏は
サウンドに厚みがあり、はじけ具合が心地よい。
エンターテインメント全開の演奏を行っている。
もう少し音質が欲しいと感じてしまう。
ただこの音質は60年代のライブ・アルバムの
平均的な録音状態なのかもしれない。
演奏が良いだけに、もっと音質がよければと思っている証拠なのだろう。

1.ダーリン – Darlin’
2.素敵じゃないか – Wouldn’t It Be Nice
3.スループ・ジョン・B(ジョンB号の難破) – Sloop John B
4.カリフォルニア・ガールズ – California Girls
5.恋のリバイバル – Do It Again
6.世界よ目をさませ – Wake The World
7.うれしくないかい – Aren’t You Glad
8.青空のブルーバード – Bluebirds Over The Mountain
9.心には春がいっぱい – Their Hearts Were Full Of Spring
10.グッド・ヴァイブレーション – Good Vibrations
11.神のみぞ知る – God Only Knows
12.バーバラ・アン – Barbara Ann

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