1978年4月15日放送のルポ・ドキュメンタリー番組である。
NHKで1978年4月8日から1984年3月8日まで
『ルポルタージュにっぽん』という番組が
毎週29分放送されていた。
『ボブ・ディランがやって来た』はサブタイトルで
第2回目の放送である。
放送はボブ・ディランが1978年2月に来日するそのことを記念して、
番組が作られた。
レポーターは小説家の村上龍。
当時26歳。
前年、2作目の『海の向こうで戦争が始まる』を出版した新進気鋭の作家だった。
初期の代表作となる3作目の『コインロッカー・ベイビーズ』(1980年)はまだ書かれていない。
その当時の村上龍が様々な人に、
ボブ・ディランについてどう思うのかを聞いていく。
僕は当時、村上龍の小説やエッセイを読んでいてこの番組を興味持って見ていた。
大学卒業した直後当たりだったと思う。
ボブ・ディランもすでに好きだったけれど、
僕はその村上龍がどうレポートして、
ボブ・ディランについて何か語るのかということに興味を向けていた。
インタビューの最後の相手は
秋田明大という日大紛争時の日大全共闘議長をやっていた人で
ボブ・ディランとまったく関係ない人とインタビューする。
村上龍自身、高校時代、
地元長崎の佐世保港に
アメリカ軍の原子力空母エンタープライズが入港した
この時に反代々木系全学連という組織が入港阻止運動した。
そのことに感動した村上龍は影響を受け、
仲間を誘ってそのマネとして高校をバリケード封鎖した。
バリケード封鎖したというよりただ単に悪ふざけをしただけなのだが、
村上龍はそのことで無期謹慎処分を受けている。
(それで済んだのが、当時の、おおらかさを感じる)
その村上自身が高校時代、バリケード封鎖したことは、
『69』として半自伝小説として描かれている。
秋田明大は学生運動、デモのリーダーとして
村上龍があこがれ
元から会いたかったようである。
村上龍が上手い具合に(上手くはないけれど)脱線して
最後は会いたい人に会って、自分の気持ちを打ち明ける。
僕はその場面が結構好きで、ある種のハイライトとなっている。
番組全体としては、
この番組を見てもボブ・ディランについて新たに分かることは特になかったし、
インタビューを受ける人にしても、詳しく熱くボブ・ディランを語るということもない。
ボブ・ディランもほとんど出てこない。
一言ボブ・ディランが来日したことに対してどう思うのか答えるということで終わっている。
村上龍がボブ・ディランについて何か語ることはなかったけれど、
村上龍とインタビューを受ける人の人となりが出ていて、
言葉のひとつひとつがそれなりに面白かった。
この番組は当時の空気感を楽しむそれ以上で、
それ以下もない番組だと思う。
それでも僕としてはボブ・ディランが出てこなくても楽しめたし、
70年代末の日本の文化や社会の空気感を楽しむには丁度いいと思って楽しんだ。
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